アンコール日記 (2)

– April 30, 2004
8:50プノンペン行きに乗るために5:30起床。ここで乗り遅れたシャレになんないんで、余裕を持って出発。昨日、乗ってきたバスを同じやつに乗って空港まで、移動するもの途中渋滞に巻き込まれたり、降りるターミナル間違えたりでチケットカウンターに着いたら、もう7:30。しかも、カウンターは現地の人でかなりの行列です。なぜかこういう時に中国語を聞くと、やたら焦ってくるのは何故なんでしょう?
そんなことがありながらも問題なく飛行機は離陸。台北からプノンペンまでは約3時間なんで、あっという間です。飛行機の外にでると台北に着いたときとは変わって、むわっとした東南アジア独特の熱気が迫ってきます。空港の外では、タクシーやバイタクの運ちゃんたちが集ってきて、この光景もやっぱりバンコクとかデリーと同じ感じ。市内までバイタクで$2らしいけど、事前に$1でも払いすぎって聞いてたんでぼられたかも。でも運ちゃんは規定で$2って決まってて、みんな一緒だって言ってる。どっちがホントなんだ?
バイタクはバイクの後ろに乗って二人乗りで移動するバイクタクシーで、こっちではかなりの数がいます。後で聞いた話だとカンボジアでは大学までちゃんと卒業しても仕事がないので就職出来る人はほとんどいなく、バイタクはバイクさえあれば(バイクに免許は不要。もちろんタクシー免許も不要)始められるので手っ取り早い稼ぎ方法なんだそうです。そんなバイタクに乗ってプノンペン市内まで。日差しは強いけど、バイクで走ってる分そんなに暑さは感じず、そのかわり砂埃がひどいです。ほとんど目を開けてられません。
30分ほどで市内に到着し、予め目を付けてた「Capital Hotel」へ行って、部屋を確保。Single/Fanで$3。まずは市内散策でメイン・マーケットへ。日本のアメ横みないな小さなお店がドーム上の建物の内外にぎゅぎゅっと集まっててすごい密度と熱気です。洋服、日用品、貴金属、食料品など、なんでもある。店をひやかしながらぷらぷらしてたんだけど、なんせすごい暑さなんでいつの間にか汗びっしょりです。水飲まずにこのまま歩き続けたらぶっ倒れるんじゃないとを思うくらい。一時普通のクーラーの効いてるスーパーに退避。スーパーの商品はマーケットよりちょっと高いけど、日本のスーパーと変わりない品揃えで、物は豊富にあるみたい。それでも暑くて観光どころではないんで、一度宿の近くの食堂にいってBayonBeerで一杯やって昼寝します。
夕方になるとさすがに涼しくなって、動きまわるにはちょうどいい温度に。市内に出る前に旅行代理店行って明日のシェムリアップ行きのチケットを入手します。始め飛行機で行こうと思ってたけどもう満席なってしまってて、バスで行くことにしました。バスだとシェムリアップまでは6〜7時間で$5.5です。プノンペンの街を散策してて気づいたんですが、なぜか同じ業種の店が4,5件並んでることが多いんですね。扇風機屋さんだったり、美容室だったり、バイク屋さんだったりが軒を連ねてあるんです。変なの。
暗くなってくるころには夜店も出始めて、また違った面白さができます。いろんな夜店を見てたんだけど、ここって店が見つからなくて、近くにいたバイタクの運ちゃんにどっか美味いところない?って聞いたら、運ちゃんの知ってる店に連れてってくれることになりました。どんなところに連れて行かれるかちょっと心配だったけど、なかなかいい感じのところです。いい運ちゃんでよかった。(でも鼻毛がこれでもかってほど生えてます。)体育館みたいなだだっ広いフロアに、地元の人はもちろん現地赴任中の日本人もいたりします。それでどんな料理かっていうと、日本の七輪みたいなのに炭ではなく焼いた石(?)が入っていて、それが各テーブルに置かれて、肉焼いて食うっていう、つまり、焼き肉です。風通しもよくビール飲むには最高なんだけど、肉は日本の方がやはり美味いです。
その時バイタクの運ちゃんと一緒にビール飲みながら話をしてたんですけど、彼が運転してるバイクは1日$3でレンタルなんだそうで。結構いいバイク乗っていたから裕福な方なのかと思っていたら全然そんなことなかった。こっちの人の平均月収が$20って聞いたので、そうなるとそのレンタル代の支払いだけでも、かなり頑張って客を乗せないといけないです。道でバイタクの運ちゃんに声かけられる時は決まって、ちょっと遠めにあるキリングフィールドとか(そこまでは$5)に行こうって言うのにはそういう理由があったからみたいです。現にその運ちゃんはレンタル代が滞っててオーナーから取り立てにあってるって言ってました。バイタクも大変です。
それとこの運ちゃんの親父さんは彼が3歳のころ、ポルポトに殺されてしまったそうです。ポルポトとか、虐殺なんていうと歴史の教科書の中の出来事かと思っていたけど、カンボジアの人にしてみたらまだ現在進行形の事件なのかも知れません。そんな出来事がほんの30年前までは日常のように起こっていたと言う事実が自分の中では上手く飲み込めないでいます。自分に何かできることがあるのか、ないのか。それすら分からないです。
食事を済まし、もう一杯飲みにまた宿近くの食堂へ行くと、今日シェムリアップから帰ってきたという旅行者を発見。いろいろと情報交換ができました。明日はついにアンコールワットの街、シェムリアップ入りです。

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