「間宮兄弟」が読み終わった後、読む本がなくなってしまって本棚を物色。
とは言え自分の本棚なので、真新しい本が見つかるわけもないんだけど、前買って面白くなかったから途中で投げ出してた「トーキョー・フリータースタイル」を読むことに。
これは明らかに「トーキョー・リアルライフ」のパクリもんで、パクリきれてない奴の典型。
まぁ、それはおいておいて、そのなかに「フリーターをしている理由は」という質問があってそれぞれ答えてるんだけど、「バンド活動」(これはいい。こっちがしたいくらい)とか、「時間が自由になるから」(これもわかる)とかは良いとして、「自分探し」っていうのはどうなんでしょうかね?
別にフリーターが良いか悪いかは別にどーーでもいいことなんだけど、「自分探し」ってなに?
なぜか「自分探し」って言葉を聞くと、背筋が寒くなる。(もうそろそろ死語になりつつある言葉だろうけど。)
「自分探し」ってのを何かを目的にしていいとは思えない。
そもそも「生きる」ってことが「自分探し」だと思うんですけど。
それは決して探し当てることはできないことだろうけどさ。
旅行してても「自分探しの旅に出てます」みたいなことを言う人もいるけど、
彼・彼女らには「地球何周してもそんなん見つかんねーよ」と言いたくなる。
大事なのは「探す」ってことじゃなく、「探し方」。
その「探し方」が「フリーターです」とか「バックパッカーです」とかなら十分理解できる。
「探し方」が分かったからといって、自分が見つかるものではないけど、
それがそれぞれの「生き方」なんだと思う。
そろそろ俺も「探し方」をちゃんと決める時期が来ているようです。
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